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無関心という名の障害
成功への障害となる典型的なもののひとつに、無関心という障害があります。
「どうでもいいのだ。」といったような、人生に真剣に真面目に立ち向かわない、なまぬるい態度です。
「そんな何にでも、夢中になれるもんじゃない。」と言う人もいますが、勝利を得ようと思うのであれば、何にでも夢中にならなければ、良い結果は得られないのです。
成功しようというのであれば、強い情熱をもった人間にならなければなりません。いずれかの方向に、夢中になって突進していく人間にならなければならないのです。
人生に直面するのに、中途半端な態度で立ち向かっては、何も達成できないのです。
成功するためには、まず情熱の強い人をみつけることが大切です。貴方と気が合わない人でも構いません。その人の強い情熱、行動力に接することにより、貴方自身の情熱のもち方や行動の仕方も変わってくるのです。
情熱が強ければ、強い人ほどいいでしょう。こうして、その人は貴方にとって極めて重要な人物になるでしょう。その人に始終つきまとう必要はありません。たまに一緒に時を過すだけでよいのです。
今から2000年も前のキリスト教初期の頃の話です。その頃は、キリスト教徒の立場は非常に苦しいものでした。当時、キリスト教は社会にうけ入れられていなかったので、キリスト教徒であることが見つかれば、大変なことになり、家族もろとも、死ぬまで牢に入れられたのです。また多くのキリスト教徒が、あのローマのコロシアムにつれて行かれ、ライオンの餌食になったのです。
当時、こうした逆境と闘うには、強い意志と情熱をもった指導者が必要でした。物語によれば、神はタルサスに住むソールという一人の男に注目したそうです。ソールは確かに強い意志と情熱の持ち主でした。彼は何をする場合にも、それに夢中になったそうです。ただ一つ困ったことには、ソールはなぜかキリスト教を悪いものだと考え、これをひどく嫌っていたそうです。
彼は情熱の強い人間だったので、だれかがキリスト教徒だと知ると、自分でも怒りを抑えることができませんでした。ソールは国の支配者たちと通じていたので、その公認のもとに、キリスト教徒狩りにも励みました。キリスト教徒をとらえると、街にひきずり出し、死ぬまでいためつけたのです。
この頃のキリスト教徒は、ソールの名前を聞くだけで、門を閉じ、鍵をかけたり、町を捨てて逃げたりしました。
ある日のこと、ソールは、ダマスカスにキリスト教徒の一群がいることを耳にし、例によって、さっそく出かけていきました。その時、神は彼の行動をじっと眺めておりました。「あの男こそ、私が以前から求めていた男だ。彼こそ、キリスト教徒の指導者になれる男だ。」
神は、激しい稲妻でソールの目をくらませ、彼を大地にたたきつけました。神はソールに言いました。「ソールよ、お前はキリスト教徒を導く立派な指導者になるのだ。」ソールはその場でキリスト教徒になったのです。
彼こそは、キリスト教の大指導者で、世界にキリストの教えをひろめたあの有名なパウロなのです。神は、彼を必ず成功する人間とみて選ばれたのだ。この感情の強い使徒パウロは、かつて憎んだものを愛し、かつて愛したものを憎むようになったのです。
このように、自分の信じる行動に無我夢中になって、心身共に打ち込める人物なら、敵でも味方でもよいのです。こちらから近づくべきなのです。
本当に成功するためには、自分の欲しいものに対して、どうすれば一生懸命になれるかを、知らなければなりません。自分の欲しいものすべてを集中するのです。これがうまくできない時は、自分自身の立てた目標をもうー度よく検討してみることです。おそらく、自分で無意識にそれを行う価値がないと感じているのです。自分が熱中できないと分かったら、すぐやめて、他の目標を選ぶことです。
しかし、本当にやる価値があるものを見つけら、徹底的にそれに打ち込むのです。遊ぶときでも、仕事をするときでも、心身ともに打ち込んでやれば、必ずうまくいくようになります。いいかげんな気持ちのままで、中途半端にやれば、結果も必ず中途半端になるのです。
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