優柔不断は成功への阻害要因である事を知覚する。

優柔不断という名の障害


どんな安全を求めても不運は来る時は来る。
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優柔不断という名の障害



  優柔不断も成功実現の障害となります。 決心がつかず、「もう少し状態が良くなれば、行動しよう。」と、いつまでも待っている憶病な人間は、いつまでも決断ができません。 こういう人間は、水に足先だけは入れてみるが、身体まで入って行こうとせず、「もう少し暖かくなるまで、待とう。」と言います。
確かに水は少し冷たく、飛び込めば、はじめは歯もガタガタと鳴るかもしれません。
しかし、水に入って身体を動かしているうちに、だんだん慣れてくるものです。憶病な人間は、それが自分の性質であるから、決して水には飛び込めないのです。
気の毒にも、水泳の喜びさえ分からない人たちです。

 いつも水べりに立って、眺めているだけの人で、水が少し暖かくなれば、こんどは、「こんななま温い水に飛びこめるわけがない。
もう少し冷たくなるまで、待とう。」と言うのです。
いつまで待っても、ちょうどいい水になるわけがなく、飛び込んで、条件に順応しなければ、何もできないのです。

 優柔不断の人は、いつも完全な時期がくるのを待っているのです。
「明日こそ、良い状態になるだろう。お天気がもう少し暖かくなれば、状態は良くなるだろう。物価が下がって、税金が安くなれば、万事よくなるだろう。そうなれば、私も活動できるだろう。」
彼等はいつまでも決心を先々に延ばすのだが、そんな都合のいい日は、いつまで待っていても、来るはずはないのです。

「世の中は、いったいいつになったら、良くなるのだろう。」と真剣に待っている人もいますが、実は貴方自身以外に状態をよくする人はいないのです。

 更に良い日というのは、いつまで待っていても、くるわけではなく、貴方自身が今日一日をよりよい日にしなければならないのです。
一日一日は織物機械にかける材料の糸のようなもので、どんな一日をその機械にかけるかによって、どんな人生がその機械からできてくるかが決まるのです。

 立派な人生の織物を作るのは貴方なのです。だから、貴方はチャンスをのがすことなくとらえ、夢を実現するのです。
一日は24時間しかないという現実に正面から立ち向かい、その24時間を自分の思う通りに最大限、有効に使うのです。
決断ができないというのは、ちょっとした危険をあまりにも恐れすぎるからです。
多くの場合、心配事は、実際には、その通り起きないものです。
結婚でも、新しい仕事でも、どんなことでも、それを始めると、うまくいくようになっています。「もし悪いことが起っこたら、どうしよう。」このようなことをいつも言っている人は、「あの時、ああしていれば、よかったのに。」といつも後悔をするのです。
これは貧乏人がいつもよくロにすることです。

人生には、常にある程度の危険が伴なうものです。
この世に生まれてくること自体危険なのです。
道を歩いていても、危ない。
又、車に乗っていても、危ない。
いつどこでどんなことが起きるか分からない程、人生には危険が多いのです。
しかし、これを怖れていては、生きて行けません。

 危険とチャンスは必ず一緒に来るものです。どちらか一方だけというものではありません。貴方が成功者になるか敗北者になるかは、そのどちらに目を向けるかによるのです。
いつも失敗している人間は、チャンスの中に危険ばかりを見つけ、いつも成功している人間は、危険の中に、必ずチャンスを見つけるのです。 こういうことを言う人がいます。「あの会社に決めて大丈夫だろうか。製品を買い入れてスタートしても、大丈夫だろうか。けれども、お金を払って、注文の品がとどく前に、車にはねられたらどうしよう。足が一本折れて、病院にかつぎこまれるかもしれない。
そんなことになって働けなくなったら、借りた金をだれが支払ってくれるだろうか。」
 このような憶病者には、次のように言ってやるといいでしょう。「それでは、家族の将来のための貯えもないまま、何も、せず、今のままの生活を続けていき、ある日大型トラックにはねられて、首の骨でも折って、二度と働けない不具者になったらどうするのです。だれが貴方の家族のめんどうを見てくれるのですか。
貴方は自分で決心ができない憶病者だから、そのようにつまらない言いわけをしているのです。」

 人生何をしても、ある程度の危険は必ず伴うものです。それを心配して、行動に移さなければ、貴方の家族は永久に何の保証もないのです。それでもこのような心配屋は更に言うでしょう。「私が求めているのは安全と保証なのだ。」  だが、「もし貴方の人生の目標が安全だというのであれば、あの隅っこにかがみこんで、頭から毛布でもかぶっていればいいのです。
だれかが毎日三度の食事ぐらいは運んで来てくれるでしょう。こうすれば、貴方の人生は危険性も少なく、安全で、100歳位まで生きることができるかもしれません。」こう言われれば、さすがの心配屋も言うだろう。「100歳まで生きるのはいいが、そんな人生では生きる価値がない。」と。

 その通りです。安全だけの人生では、生きる価値がないのです。安全だけを求めるようでは、だめなのです。ある程度の冒険を人生に求めるのです。部屋の隅っこにかがみこんで、100年安全に生きるよりは、冒険にみちた30年の人生を生きる方がはるかにましです。
 大切なのは、どれだけ長く生きるかということではなく、どのように生きるかということです。
空のコンテナをいくつ並べるかということではなく、人生の冒険で一杯のコンテナをいくつ並べるかということが問題なのです。

 決断のできない人物も、自分は本来憶病者であることを知っています。「そうなのだ。自分でも決断がつかないのはよく知っている。
しかし、もし判断がまちがったらどうしよう。それが心配でこわいのだ。」と、その男は言うでしょう。
 どんな決断を下しても、とにかく行動に移すことです。冒険に満ちた人生というものは、たくさんの決断を下した人生です。下した決断の結果が思わしくなければ、将来正しい決断を下すためのいい経験になったと考えればいいのです。
そして、もう一度やり直せばいいのです。

 優柔不断な人間になってはいけません。決断が下せないのは、時間とチャンスをみすみす逃しているのと同じです。チャンスが目の前を通りすぎていき、他人の手に移るのを、疑いのまなこで、じっと見送るのです。すみやかに決断できるよう、自分で努力するのです。
もちろん、無茶苦茶にやれというのではありませんが、短時間に決断が出来るように訓練すべきです。

 優柔不断ということは時間の浪費であり、決断に迷っている間にも、貴方の決められた人生の時間はどんどん過ぎていくのです。
 一日迷っていれば、それで貴方の人生は一日少なくなります。優柔不断は、死刑の宣告と同じく、貴方の人生を一日一日と縮めていきます。  



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