コラム

運命ってなんだろう

ヒューマンバリュー


 
 


 

運命とはなんだろうか


 近年、占いがマスコミの先導もあってか、新たなブームになっているようです。
自身、何をするために生まれてきたのだろうかと自問自答しながら年を重ねてしまいました。
これまでも、死に直面したことは何度か、小学生の時に、屋根から飛び降りたところ、そこに針金が張ってあり、それに首が引っ掛かり、首つり状態に。周りの人はあわてたようですが、当の本人は目の前が銀色になり、気が付いたのは、その針金が切れて地に落ちた瞬間でした。針金が錆びていたため、命をつないだわけです。
中学校の時は、親との軋轢から死んで迷惑をかけてやろうと、出刃包丁で腹を刺そうと試みたのですが、ほんのちょっと刺しただけで痛いのでやめました。
高校になってからは、一年生の時にはオートバイでスピードの出しすぎで山に突っ込みアバラ骨を少々痛めました。
2年生では、ノーヘル(ヘルメット無)で車に突っ込み頭を8針縫う大けがでした。突っ込んだ先が自動車の後輪、タイヤに頭をぶつけて、フェンダーで頭を切ったわけです。ほんのちょっとずれていれば、タイヤとフェンダーの間で頭はぐちゃぐちゃだったと思います。そのまま、バイクにまたがると、みるみるうちにガソリンタンクが真っ赤に染まりました。すぐに近くの交番まで行き、病院に連れて行ってほしい旨を伝えました。
3年生の時には、やはり、バイクでスピードを出しすぎ、コーナーを曲がりきれずに車と衝突、気が付いた時には股間に車のタイヤを抱いて約10メートル程引きずられていました。運転手が下りてきて最初の一言は「おう、生きてたぞ」でした。大きな事柄はこれくらいでしょうか。
実は小さなものは更にあります。2階の屋根で作業をしており、頭からまっさかさまに落ちたこともあったり、今考えてもよく助かったなと思ったりしております。
あるいは、手術で、3時間で終わるはずが8時間になり、周りの人はみんな亡くなったと思っていたようでした。なにせ、病室に戻ったのは翌日でしたから、この時も手術から覚めての一言が「今何時ですか」、私なりに、ずいぶん時間がたったを感じていたのでしょうか。ともあれ色々ありました。
さて、運命について考える時、ある書籍(税理士事務所職員必携だったと記憶してます)にとても興味深いことが載っていましたので紹介しておきます。

  中国の陰隲録(いんしつろく)という本に、その本の著者の実話が載っていたそうです。その中身は 袁了凡(えんりょうぼん)という人の話です。
袁了凡は、医者になろうと思っていました。その理由は、お母さんから、亡くなったお父さんがそれを望んでいたということを聞いたためでした。
本当は官吏の職に就きたいと考え、そのための勉強もしていたそうですが、やはり、医者という職業は生活がよくなるだけではなく、人を救うこともできると説得をされて、その気になったようです。
 そのような中、慈雲寺というお寺で勉強していた時、まるで仙人のような、立派な老人がきて、袁了凡に言われたそうです。「お前さんは、やがて官吏になる人だ。明年官吏の試験をうければ、必ず合格するのに、どうして医学なんか勉強しているのか」 老人は、当時中国一の易者で孔という人でした。
 袁了凡は、この人を家に案内し、母の前で自分の運勢をくわしくみてもらいました。すると、県の試験は14番目、府の試験では72番目、道の試験では9番目で合格するといわれました。
実際に、翌年試験をうけてみると、三つともビタリとそのとおりになったそうです。
驚いた袁は、さらに、生涯の運勢を占ってもらったのです。 その内容は、「何年後には、なんの試験に何番で合格し 何年後には俸給がいくらで、何年後なんの地位につき、最後に四川省の長官に選ばれるだろう。そして、在職2年半で休暇をもらって、家に帰りなさい。かくして、53才の8月14日丑の時刻に、表座敷で一生を終わるだろう。おしいことに子供はない。」といわれたそうです。
 その後は、試験の結果と順位、年月、すべて孔先生の予言の通りだったそうです。 袁はすっかり予言を信じこんでしまいました。そのため、心は安定し、淡々として運命にまかせて落ち着いた毎日を過ごしていたそうです。
 ある日、南京の棲霞寺というところで雲谷禅師について、座禅をしたそうです。 「だいたい、人間というものは、邪念があるから、聖人になれないのだが、お前はかなり悟っているようだ。どこでそんなに修行したのか。」ときかれたそうです。
そこで袁は「わたしは孔先生に一生を占っていただきました。それがピタリ、ピタリとあたりますので、私の一生はみな定まった運命のなかにあります。だから、妄想しようとしても、妄想のしようがありません。」と話したそうです。
雲谷禅師は笑いながら、「わしは、お前さんをすぐれた人物だと思っていたが、もともとただの凡人にすぎなかった。人間は運命なんかに支配されるものではない。善いことをすれば、よい結果が出、悪いことをすれば、悪い結果が出るのだ。
運命は自分で作り、幸福は自分から求めるものである。
功名を求めれば、功名が得られ、富貴を求めれば、富貴が得られ、長寿を求めれば、長寿が得られるものである」 「立派な行いは、自分の心の問題ですから努力すれば求めることができると思いますが、功名富貴は天から与えられるものであって、いくら努力しても、自分の力では求めることができないように思われますが。」  「いや、すべての幸福の生ずる畑は、心の中にある。心の中で求めたならば、断じて通じないものはない。
ここに善悪の点数表がある。善はプラス、悪はマイナス点、まず3000点をとるように努力しなさい。お前さんの運勢は変わってくるよ」と、教えられたそうです。
 袁は実行してみました。
すると、孔先生に3位といわれた試験に1位で合格し、孔先生にいわれたより上の役につくこともできました。そこで、さらに3000点と努力を続けたところ、授からないといわれていた長男も生まれました。生涯も、74才まで生きることができたそうです。
運命は切り開くもの、そのことが何となくわかったような気がします。 明日からまた自分をいじめて頑張ろうと思います。

 

税理士試験・財務諸表論暗記学習
 
 


 

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