山道を歩く杖のように、人生を歩く杖となるような言葉を集めました。



リーダーシップの欠陥

リーダーになるという事は、これまでの業績や人間性を評価されてのものである。
しかし、ややもすると、その成果が雲散霧消してしまいかねない。
ここでは、その失敗の原因をナポレオンヒルの書籍から引用して紹介してみたいと思う。

1.詳細な事を組織する能力が無いこと
リーダーシップの根源は、目標の立案とそれに対するPDCAである。
これを管理する能力なくしてリーダーとは言えない。すべて、任せてある等とうそぶくリーダーは最低である。信頼はするが信用はしないという心構えが無くてリーダーとは言えない、

2.謙虚になってサービスが出来ないこと
していただく、 こんな気持ちが大切だ。やらせる等と考えるのはもってのほかである。
これまで、多くの大企業の研修のお手伝いをさせて頂いた、その中で、大きな企業の経営者になる人に共通点がある事に気づいた、正に、これである。
宴会では、男芸者、しかし、研修時には威厳を持つ、正に従業員にサービスという精神が無ければリーダーは務まらないのである。

3.知っていることを行う人に報いるより、より多く知っている人に報いようとすること
ちょっと、難しい表現である。ちょっと、間違うと口だけ達者な人を登用しようと取られてしまう。
しかし、ここで云っているのはちょっと違う。陽明学の知るとは、行いができることを表す。その視点から、その知識を他の人に行わせる能力のある人を登用すべきであるという考えである。

4.部下からの挑戦をおそれるリーダー
何とも、情けないリーダーだが、このようなリーダーが多いのも事実である。
こんなことばかり、考えているリーダーは、早晩その地位を追われる。会社は常に下剋上の世界である。その部下を以下に使っていくかがリーダーの本質であるのに、それを忘れてしまっては、もはやリーダーではないのである。

5.創造心の欠如
創意工夫のないリーダーは、イノベーションが無い。イノベーションが無いという事は、生産性の向上もなければ、能率向上もあり得ない。このようは、リーダーはだれも望まない。
リーダーこそが、イノベーターであり、行動のリスクテイク者なのである。いつの時代も成長の源は創造性なのである。

自己中心主義のリーダー
手柄を独り占めというリーダーをよく見かける。誠に恥ずかしいことである。リーダーは、自分の部隊の総合力を如何に高めるかに心血を注ぐものであるが、それを、自身の評価向上の為だけに心血を注ぐ輩がいる。
自分の事しか考えない人の為に誰が心血を注いで働くかを考えて欲しい。常に、自分が一番のようなつもりで、批判的に部下を見て行く、そんなリーダーは、悲しいストレスだけの社会で暮らすことになる。

7.過激主義のリーダー
体育会系よろしく、過激な言葉で人を導こうとする。これでは、部下は育たない。いつの間には、過激な言動で人が動くことに酔っている指導者をよく見る。人は神様ではない、時には過激な言動はうなずける。しかし、怒ると叱るの違いを明確にし、常に冷静な心でパフォーマンス出来ること除けば、これらはすべて詭弁にすぎない。

不誠実なリーダー
何をもって誠実とし、何を持って不誠実とするか、それは、他人の事を思い、それが基盤に立つときの態度や言動は誠実となり、そうではなく、常に自分の立場から発せられる言動は不誠実をとられる。
しかし、受け取り側の問題があるので、一概に共通の枠組みで入れることも難しい。常に元凶は利己主義であることを忘れないことである。

9.権威を強調するリーダー
権威だけで、部下を従わせようとするリーダーは、自信の無さを露呈しているものである。
リーダー自身の人間性とか、目指す目標への同期性とかそのようなものでは人は動かせない。ましては普段の行動からどう見ても人の上に立てない・・・そんな中で、人を従わせようとするので権威である。
残念なことに優秀でないリーダーであればあるほどこの権威を大切にし、これに頼る・・・そして、最後には裸の王様になるのである。

10.肩書の協調
権威と若干似ている。肩書がなけれは動けない・・・正に、幼少のころに、これにおびえて育ってきたトラウマである。大きな企業の人には特に多い。
アホな人間である。アホな人間は笑いものになることはあっても、尊敬の対象にはならない。






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